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DF佐久間、駅伝にも出て順位上げた
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(13)DF佐久間真人>

  コツコツと走り続ける。DF佐久間真人(3年)の3年間はそんな毎日だった。1年のときは
公式戦の記録員兼タイムキーパー。試合に出る同級生を横目に悩んだこともあった。
試合を見続けていたことが、実を結んで2年のプリンスリーグでメンバー入り。
選手権県大会で登録メンバーを外れたが、あきらめずに練習を続け、
本大会では逆転でメンバーに復帰した。

  3年になり、左DFのポジションを1年の原田に奪われた。それでも黙々と練習に励み、
全日本ユースの国見戦や東京V戦などで途中出場。存在感を示した。
「どうやったら出られるか悩み、プレーがあいまいだった時期もあった。
でも今は試合に出たら、与えられた仕事をきっちりやる自信はある。
頑張ればちゃんと見ていてくれるから」。

 今月4日の県市町村対抗駅伝に川根町代表で出場した。選手権前のため、
要請を断るつもりだったが、監督に「町のために走ってこい」と言われ、出場を決めた。
チームは47町村中44位に終わったが、佐久間の4区で1つ順位を上げる働きを見せた。
「苦しいのは、きっと何かの役に立つ。駅伝も選手権に役立つと思った」。苦しみながらも、
確実に何かをつかんできたから、佐久間はこれからも努力を続ける。

 ◆佐久間真人(さくま・まさと)1986年(昭和61年)6月3日、川根町生まれ。川根小4年で
サッカーを始め、川根中ではACMブルックスに所属。陸上も得意で小学生時代は1500メート
ルで県6位。好きな言葉は「当たり前のことを当たり前にやる」。卒業後は関西学院大に進学。
173センチ、62キロ。血液型A。

[2004/12/15/10:54 紙面から]

FW井上琢、広島ユース蹴って憧れ校へ
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(14)FW井上琢也=1年>

 広島から出てきて8カ月のFW井上琢也(1年)は、あこがれの藤枝東で充実した毎日を送っ
ている。

 中学時代は広島ジュニアユース備後に所属。日本クラブユース、高円宮杯全日本ユースで
全国大会に出場した。ジュニアユース全員が受ける昨年秋のユース入りセレクションでは、10
0人中、スポーツテストはベスト3入り。身体能力の高さを評価され、高校世代最高レベルの広
島ユース入りも可能だった。だが「小6のころから藤枝東に入るのが夢だった。その思いの方
が強かった」。

 伯父の影響が大きかった。母の兄である岡本勇氏(50)は藤枝東OBで、全国優勝経験もあ
り、ユース世代の日本代表に選ばれた名FW。現在は焼津中央高で監督だ。子供のころ、井
上琢は正月を静岡で過ごし、伯父と一緒に藤枝東の初蹴りにも参加した。今は、学校から10
分の伯父の家に世話になっている。

 入学し、総体からすぐにメンバー入り。練習にも熱心で、遅くまで残り、滝コーチにマンツーマ
ンでドリブルの指導を受けたりもする。「スピードには自信がある。よーいドンで裏に抜けたら、
負けない。でも早いだけじゃ駄目。スピードを生かしたプレーの技術を向上させないと」。小柄
だが、身体能力、向上心も抜群の1年生FWは楽しみな存在だ。

 ◆井上琢也(いのうえ・たくや)1988年(昭和63年)6月18日、広島生まれ。小1でサッカー
を始め、県大会準優勝、県選抜にも選ばれた。中学は広島ジュニアユース備後に所属し、全
国大会2度出場。県選抜に選出された。好きな選手はRマドリードFWオーウェン。好きなチー
ムは浦和レッズ。尊敬する人は伯父。168センチ、60キロ。血液型AB。

[2004/12/16/12:15 紙面から

藤枝東FW三輪、鎖骨負傷から18日復帰戦
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(15)FW三輪健太郎=2年


 頼りになるFW三輪健太郎(2年)が、今日18日の練習試合、星稜戦(石川)で復帰する。先
月21日の県選手権決勝で殊勲弾を決めながら相手DFと接触。左鎖骨を負傷し、離脱してい
た。患部にバンドを巻きながら、ウオーキングから始め、6日に完全合流していた。「もう大丈
夫。体力もずっと走っていたから問題ない。監督に『次は出す』って言われました」。県選手権
後、3試合勝ち星がないが、服部監督も「三輪が入れば変わる」と復帰を心待ちにしていた。

 三輪はこの選手権にかけている。9月に左鎖骨を骨折し、全日本ユースを欠場した。悔しさ
を晴らすかのように、復帰した県選手権では3試合2得点1アシストと活躍。再度同個所を負傷
しても、「焦りはなかった。前のときより、痛みはなかったし」と冷静に受け止めた。

 勉強もトップクラス。文系で常に20番以内、良いときは10番以内にも入る。疲れていても必
ず3時間は机に向かう。「勉強もサッカーも楽しいから」とさらりと言ってのけるのだ。

 コンビを組むFW中村は「三輪とはやりやすい。パスも出してくれるし、足も速くてスペースへ
の飛び出しもうまい。タイプが違うからいいみたい。復帰は楽しみ」。三輪も「出るからには1試
合1得点が常に目標。結果を出したい」と選手権に向け、エンジンを全開にする。

 ◆三輪健太郎(みわ・けんたろう)1987年(昭和62年)11月4日、米ニュージャージー州生
まれ。その後ペンシルベニア州に住み、5歳半まで米国暮らし。都田南小3年でサッカーを始
め、しず銀杯優勝。陸上でも100メートルで浜松市内8位。都田中ではホンダFCに所属し、
1、2年時に日本クラブユース選手権に出場。1年時に県選抜入り。好きな選手はRマドリード
MFジダン。家族は両親、妹、祖母。174センチ、62キロ。血液型A。

[2004/12/18/11:00 紙面から]

DF西形、40メートルロングスローだ
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(16)DF西形勇人=2年>

 ロングスローで流れを変えられるのが、DF西形勇人(2年)だ。体が柔らかく、エビぞりから
のスローインは30〜40メートルに及ぶときもある。「もともと柔らかくて、小学生のときからよく
飛んだ。背筋が強いのかも。後ろ向きに体を倒していくとそのまま地面に手がつく」。柔軟さを
維持するために、ストレッチは欠かさない。

 7月のプリンスリーグ最終節・名古屋戦では1点ビハインドの場面から出場。西形のロングス
ローが、赤星の同点弾につながり、全日本ユース出場権を引き寄せた。それでも「オレが出る
のは負けてるときばかり。ロングスローしか期待されていないのかと悩んだ」という。「スローイ
ンが武器といわれるのは微妙。それしかないみたいで」と苦笑いしたこともある。

 意地を見せたのは、10月の全日本ユースの星稜戦だった。0−0の場面で途中出場し、7
分後に絶妙な右クロスでMF閨谷のゴールをアシスト。2−0の勝利に貢献した。「スローイン以
外で役に立ててうれしかった」。中学から一緒で親友のDF村松克は「西形はロングスローだけ
じゃなく、インターセプトもリフティングも天下一品」と最も力を認める1人だ。「これからもいろい
ろな形で勝ちに貢献できるように頑張らないと」。さらなる成長を誓っていた。

 ◆西形勇人(にしがた・はやと)1987年(昭和62年)4月30日、藤枝市生まれ。青島小でサ
ッカーを始め、U−12ナショナルトレセンに選出。東海一中に進み、2年で高円宮杯全日本ユ
ースで全国準V。全中大会は2年で全国16強、3年で同8強。高校ではセンターバック以外の
さまざまなポジションを経験。家族は両親と兄。裁縫や料理が得意。170センチ、60キロ。血
液型B。

[2004/12/21/11:27 紙面から]

FW佐原、流れ変えて国見にリベンジだ
 
<全国高校サッカー出場!藤枝東メンバー紹介(17):FW佐原啓泰=1年>

 FW佐原啓泰(1年)も国見との再戦を心待ちにしている1人だ。10月の高円宮杯全日本ユ
ース国見戦で途中出場。投入4分後にMF閨谷からのパスを受け、GKと1対1になる絶好のチ
ャンスを得た。公式戦初ゴールかと思ったが、力みすぎ、枠から外れた。東海大一中2年時の
全中大会でも、国見に0−6で敗れ、8強どまりだった。

 今回の選手権では、順当に勝ち上がれば3回戦で国見との対決が濃厚だ。「あたりやヘディ
ングは強かったけど、通用しないとは思わなかった。出られたら結果を出したい。打倒・国見で
す」。リベンジへの手応えはつかんでいる。

 1年生で4月のプリンスリーグ・岐阜工戦に途中出場し、いきなりデビュー。実際の175セン
チより大きく見える体で、ヘディングに強い。公式戦ではまだ無得点だが、それも前線で体を張
り、つぶれ役に徹しているからこそだ。

 全日本ユース星稜戦では0−0の残り10分で投入されると流れが変わり、チームは2−0で
勝利。「自分が出て勝ったのがうれしかった。流れを変えるのが僕の仕事。大事な場面で結果
を出せる選手になりたい。気持ちの面でのどん欲さをもっと出していきます」。国見と戦うまで
は負けられない。【斉藤香織】

 ◆佐原啓泰(さはら・ひろやす)1988年(昭和63年)5月30日、愛知県豊橋市生まれ。豊橋
谷川小4年でサッカーを始め、豊橋SSに所属。東海大一中に進み、新幹線で通学していた。
中2で全中大会8強入り。両親ともに教師で、自らも教師になることが将来の夢。好きな言葉
は「1等賞」。好きな選手はRマドリードFWロナウド。家族は両親、姉。175センチ、73キロ。
血液型O。

[2004/12/27/11:35 紙面から]

MF大塚、貴重な左足はチームの武器
 
<全国高校サッカー出場!藤枝東メンバー紹介(18):MF大塚秀=2年>

 MF大塚秀(2年)にとって、気持ちとフィジカル強化の1年だった。6月のプリンスリーグ東海
大会のジュビロユース戦。定着していた左MFで先発出場したが「すべてダメ。特に気持ちがダ
メでした」と振り返る出来だった。わずか15分で交代を告げられ、以後先発を外された。

 現在の登録メンバーで左利きは3人だけ。大塚の左足はチームの武器だ。一方で福山雅治
似の端正な顔立ちに優しい性格。おっとりとしたところから、ピッチ上では「前に行く気持ちが足
りない。やる気がない」と言われてしまう。

 「体力もないので、前半で交代とかもあった。体力と気持ちを鍛え直さないとと思った」。遠征
では名指しで中距離ダッシュを命じられた。練習の合間も常に足を動かし、休まないことを心
掛けている。ボールを奪われたらすぐに追うという意識も高くなった。今は途中出場だが、ガツ
ガツ前に行く。紅白戦でも公式戦並みに積極的だ。「おとなしすぎちゃったんですね。闘志をむ
き出しにして、気持ちを前にと常に考えています」。

 選手権1回戦の31日は誕生日。「去年は負けて複雑な誕生日だった。今年は笑えるようにし
たい」。精神的にも、体力的にも強くなったレフティーが選手権でどんどん前に突き進む。

 ◆大塚秀(おおつか・しゅう)1987年(昭和62年)12月31日、藤枝市生まれ。父幸男さん
が少年団の指導者だった影響でサッカーを始め、小4から藤枝FCに所属。静銀杯、NTT杯県
大会出場、JC杯ベストイレブン。藤枝中では県8強など。中西部トレセンなどにも選出された。
書くのも食べるのもボウリングも右だが、蹴るのだけ左利き。好きな選手はマンチェスターUの
MFギグス。家族は両親、祖母、兄。163センチ、55キロ。血液型A。

[2004/12/28/11:54 紙面から]

DF村松克、8カ月ぶり公式戦復帰目指す
 
<全国高校サッカー出場!藤枝東メンバー紹介(19):DF村松克哉=2年>

 DF村松克哉(2年)は選手権で8カ月ぶりの公式戦復帰を目指している。順風満帆だった4
月下旬のプリンスリーグ清水ユース戦で、左ひざじん帯と半月板を損傷。2〜3カ月の離脱を
強いられた。今でもたまに患部が痛む。新人戦ではレギュラーだったが、故障後、まだ公式戦
の出場はない。「もう半年以上も出ていない。1分でもいいからピッチに立ちたい。チームに貢
献したい」。

 小、中学時代は攻撃的MF。東海大一中時代には、1学年上で横浜入りが決まった静岡学
園・狩野健太(3年)とボランチを組み、高い技術を学んだ。高校入学の直後、DFに転向させら
れて戸惑ったが、守備の要である小関や大黒柱赤星らから判断力の速さ、集中力の重要性を
教えられた。意識の高さ、サッカーに対する姿勢も学んだ。「昔から先輩には恵まれている。身
近にすごい人がいて、目標があった。高いレベルの中で目標を持ってできているから、頑張れ
る」。

 出場できず、ベンチを温める日々が続いているが、出番に備え自分磨きを続ける。外から見
ているからこそ、冷静にチーム分析もできる。「崩されて点を取られてはいない。一瞬の気の緩
みだけ気をつければ大丈夫。もちろん、少しでも出場機会をもらえるように僕も頑張ります」。
復活の日も近い。

 ◆村松克哉(むらまつ・かつや)1987年(昭和62年)12月14日、焼津市生まれ。焼津西小
2年でサッカーを始め、焼津西SSSに所属。県のトレセンに選出。東海大一中に進学し、2年
時に高円宮杯全日本ユース準V、3年時には全中大会で8強。将来の夢は、体育か社会の教
師。好きな言葉は「不撓(ふとう)不屈」。好きな選手はリバプールMFジェラード。家族は両親、
祖父母、兄。180センチ、68キロ。血液型A。

[2004/12/30/10:23 紙面から]



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