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藤枝東MF増田、勝利のために守備専念
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東MF増田洋平>

 第83回全国高校サッカー選手権(12月30日開幕)に県代表として藤枝東が出場する。12
月31日の1回戦の対戦相手も佐賀東(佐賀)と決まった。昨年は初戦で敗退した藤枝東だ
が、今年はどのような戦いを見せてくれるのか。日刊スポーツでは全国選手権までの間、夢の
大舞台に向かう選手らを追う。第1回は自分の色を変えてまでチームのために戦う増田洋平
主将(3年)にスポットを当てた。

 増田の変化がさらに藤枝東を強くしたといっても過言ではない。増田はチームの柱・赤星とと
もにボランチを組むが、自分のため、チームのために得意な攻撃を抑え、守備に専念。増田
が守備に徹することで、赤星の攻撃が生き、数々の試合を勝ち抜いてきた。攻の赤星と守の
増田というボランチの絶妙なバランスは藤枝東の強さの核になる。

 昨年の増田は、滝口、木村という3年生ボランチからスタメンを奪取することができず、県大
会も出場機会はなかった。「選手権は子供のころからの夢。1、2年のときは県大会もベンチ。
勝っても出られなくて悔しくて」。売りは攻撃だった。常に攻撃的MFとしてトップ下などを任され
た。前線に正確なパスを出すため、中学時代は「城内(FC)の中田」と呼ばれたほどだった。

 だが、新人戦決勝の浜名戦でトップ下だった赤星がボランチで起用され、初めて組んだ。池
谷コーチに「守備に徹してくれ」と言われた。「赤星が前に行くから、空いたスペースを埋める。
それが僕の仕事。最初は我慢だった。守備の練習なんてやったことなかったから。だけど赤星
と競っても攻撃面はかなわない。チームのためだから」。

 徐々に面白さも感じてきた。「強豪チームは必ずといっていいほど、いい選手が中盤の高い
位置。それを抑えるのが僕の役目だ。面白いところもある」。

 藤枝東の主将という重責も担ってきた。服部監督が、この1年で最も成長した選手に増田の
名を挙げるほど、技術的、精神的に成長した。「今まではアピールすることばかり考えて、後ろ
が空いてもどんどん前に行った。今年はプレーに責任が出てきた」。明大への進学も決まって
いる。「大学に行ったら、もう少し攻めたいかも。でも選手権は守りに徹します」。頼れる主将が
藤枝東の中盤の底を支える。【斉藤香織】

 ◆増田洋平(ますだ・ようへい)1986年(昭和61年)5月5日、相良町生まれ。4歳でサッカ
ーを始め、横内小、東中時代は城内FCでプレー。小学生時代はしずぎん杯県優勝、NTT西
日本杯準優勝など。静岡市、東海選抜、ナショナルトレセンに選ばれた。中学ではフットサル
東海大会優勝、全国8強。さなる杯優勝、日本クラブユース選手権全国大会出場。家族は両
親、姉、弟。父雄司さんは剣道で国体個人8強。好きな選手はインテルMFベロン、ACミランM
Fピルロ。178センチ、65キロ。血液型A。

[2004/11/25/11:17 紙面から]

藤枝東のエース赤星が浦和入り表明!
 
 藤枝東のエース、MF赤星貴文(3年)が25日、J1浦和入りを表明した。2度の総体、選手
権、全日本ユース出場の原動力となった高校屈指のDFに第2ステージを制した浦和が、早く
から獲得に乗り出していた。山田、長谷部という藤枝東の先輩もいる浦和で、Jリーグでの活
躍はもちろん、日本代表入り、世界での活躍も目指す。すでに仮契約も済み、これからは12
月30日に開幕する全国選手権に専念する。

 浦和にレッドスターが誕生した。J注目の赤星が、県選手権後初の練習となった25日、浦和
入りを表明した。「強いチームでプレーできることになって光栄です。強いし、環境もいいし、た
くさんの応援の中でできるというのが決め手になりました」。先月の6、7日に浦和の練習に参
加し、入団の意思を固め、仮契約もすでに済ませた。浦和の森GMは「技術があってドリブルも
できる。展開力、キープ力があり、シュートも打てる。センス、向上心があるのもいい」と高く評
価した。

 技術だけでなく、フィジカルも強い。長距離選手だった父譲りのスタミナがあり、柔道部からス
カウトされたほどの身体能力も備える。宮崎スカウトも「全体的にバランスがいい。2年前の長
谷部より上。小野伸二の再来」と絶賛した。

 前日24日にはライバル・前橋育英のMF細貝萌(3年)も浦和入りが内定。ともに常勝軍団を
目指す浦和の中心選手になることを期待される。「夢をかなえたという気持ちはない。これか
ら。まずはJで活躍して代表になって、世界に出て行く選手になりたい」。

 全国選手権1回戦の佐賀東(佐賀)戦は埼玉スタジアムで行われる。「レッズファンも見にくる
だろうし、浦和の赤星といわれる。責任を持ってプレーしたい」。今日26日から28日まで浦和
の練習にも参加する。高校からプロへ。赤星の挑戦が始まる。【斉藤香織】

[2004/11/26/10:44 紙面から]

常に脚光浴びる赤星、1年から背番号「10」
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(2)MF赤星貴文>

 センスと冷静さに心の充実を兼ね備えた赤星が、大舞台でさらに輝く。試合後は堂々とした
説得力のある口調でプレーを分析。その洞察力、判断力の速さはピッチにも表れる。広い視
野から繰り出されるボールは常に的確だ。2、3人に囲まれても、自身で打開できる力もある。
「ボールを持った時に何かしそう、こいつだったらなんかやってくれそう、って思わせるのがオレ
の良さかな」。

 常にスポットライトを浴びてきた。清水ジュニアユース所属の中2のときに全国制覇し、各年
代の日本代表にも選ばれた。「プレーの幅を広げるため」とクラブの誘いを断って藤枝東に入
学。すぐにレギュラーとなり、1年の終盤から背番号10を背負った。2度の総体、選手権、全
日本ユースと今回が5度目の全国大会出場だが、まだ結果を残せていない。2年の総体敗退
時は号泣。昨年の選手権敗退後はあきれて涙も出なかった。

 プロ入りを決意し、今回が集大成となる。今年の2度の全国では、結果は伴わなかったが、
内容は良く、戦える手応えをつかんだ。重圧もある。一方で、楽しむ余裕も出てきた。「オレら
のスタイルができれば、いける。少しでも長くこのメンバーでやっていたい。オレにかかる責任
は感じる。自信もあるけど、プレッシャーや不安も同じくらいある。だけど楽しむ。好きでサッカ
ーをやってるんだから」。赤星の笑顔が、選手権のピッチで見られるはずだ。

 ◆赤星貴文(あかほし・たかふみ)1986年(昭和61年)5月27日、富士市生まれ。神戸(ご
うど)小3年でサッカーを始め、吉原北中時代は清水ジュニアユース所属。2年で高円宮杯全
日本ユース選手権(U−15)全国優勝。U−15、16、18日本代表。今年のさいたま国体優勝
メンバー。好きな選手はRマドリードMFジダン。家族は両親と姉。175センチ、66キロ。血液
型A。

[2004/11/26/10:44 紙面から]

Jへの登竜門「新人王」に輝くDF原田
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(3)DF原田圭輔>

 全国高校サッカー選手権県大会で最優秀新人に輝いた左ストッパー・原田圭輔は、1年生な
がら存在感たっぷりだ。インターセプトからの攻撃参加など、得点に絡む働きもする。服部監
督は「普段はまじめだが、思い切りいいプレーを見せる。1年であれだけやれれば楽しみ」と評
価。最優秀新人は、GK川口能活(ノアシェラン)FW高原直泰(ハンブルガーSV)らも選ばれた
「Jリーグへの登竜門」といわれる。だが、本人は「ラッキーだっただけ。僕の夢は教師になるこ
と」と淡々としている。

 今春、北海道から藤枝東に越境入学。「小6の静岡遠征で『ここでサッカーをやりたい』と思っ
た。出られなくても、強いところでやりたかった。勉強もしっかりやりたかった」。両親からは通
用しないと反対された。中学側も創立以来初の北海道外受験で、慌てたという。それでも信念
を突き通した。

 4月17日のプリンスリーグ開幕戦でいきなりデビューし、総体、全日本ユースも経験した。自
分では「2年でベンチ」を目標としたが、既にレギュラーに定着。順調すぎるこの1年を「ついて
いくのに必死。プリンスリーグ開幕戦は自分が原因で失点した(3−1で勝利)。慣れるまでつら
かった」と打ち明けた。ほかの1年生と同様、胸にフェルトペンで大きく「原田」と書いた白のTシ
ャツ、短パン姿で練習し、雑用としてドリンク係を任される。「試合に出る出ないは関係ない。雑
用も仕事です」。

 県外出身者14人は寮生活。北海道にはなかなか帰れない。「でも、夏休みに4日間帰った。
総体1回戦で負けたあと、監督が『帰ってこい』と(遠征先の)島根から広島空港まで送ってくれ
た。配慮がうれしかった」。今度は全国の舞台で、遠い地の両親にもアピールする。【斉藤香
織】

 ◆原田圭輔(はらだ・けいすけ)1988年(昭和63年)6月11日、札幌市生まれ。清田南小1
年で札幌ジュニアFC入り。小6で北海道選抜入り。東京V森本らとトレセンにも選ばれた。清
田中では札幌ジュニアFCユースに所属。好きな選手はRマドリードDFロベルト・カルロス。教
師になるのが目標。家族は両親。173センチ、63キロ。血液型O。

[2004/11/27/10:50 紙面から]

藤枝東井上、DFへの転向でたくましく
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(4)DF井上翔太>

 井上翔太(3年)はDFへの転向でたくましくなった。昨年はボランチの控え。新チームになり
レギュラーとなったが、6戦目の新人戦準決勝で退場者が出て、DFに回った。「焦った。やった
ことなかったから」。1対1で粘り強さを発揮。見事に代役を果たし、認められて右ストッパーを
任された。

 それまでは中盤でトップ下やボランチで攻撃の起点になるのが仕事だった。センターバック
の小関に「1から教えてもらった」。さらに試練が見舞う。5月の総体県予選前にねんざし、1カ
月の離脱。9月には右足すねの疲労骨折で全日本ユースを欠場した。

 「夏ごろから痛かったけど、ねんざで離脱したし、DFとして自信がなかったからやらなきゃと
思った。薬を飲みながらプレーしてたら無理が出たみたい。全日本ユースに出られず悔しかっ
た。だから選手権はやらないといけない」。

 磐田MF成岡にあこがれて藤枝東入り。県予選決勝後、電話をもらい、勝利を約束した。12
月31日の1回戦は「天皇杯(元旦に決勝)があるから見に行けない。だから勝てよ」と言われ
た。成岡は天皇杯で、井上は全国選手権での優勝を誓い合った。

 27日には、同大への進学が決まった。残る目標は選手権制覇だけ。持ち前の粘りで藤枝東
のゴール前を守り抜く。

 ◆井上翔太(いのうえ・しょうた)1986年(昭和61年)10月1日、焼津市生まれ。8歳でサッ
カーを始め、小川小では小川少年団、小川中ではEWSに所属。家族は両親、姉、弟。卒業後
は同志社大法学部に進学。175センチ、66キロ。血液型B。

[2004/11/29/10:45 紙面から]

MF鈴木、病魔に負けぬU16の星
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(5)MF鈴木崇記>

 左MF鈴木崇記(2年)は、8月に突然の病魔に襲われた。全国総体敗退後、豊田国際ユー
スに出場するため、U−16代表に合流した初日だった。左右の肺に挟まれた縦隔内に気管
から漏れた空気がたまる縦隔気腫と診断され、手術を受けた。アジアユース目前で代表を外さ
れた。

 「中学でも2度この病気になり、最後の試合も出られなかった。突発性のもので疲れが原因
みたい。手術は今回が初めて。悔しいけど仕方ない。(U−16の)布監督は『次は戻ってきてく
れ』と言ってくれた」。1年から総体、選手権を経験し、U−16代表ではイラン、北アイルランド
遠征に参加するなど、期待されていた矢先だった。藤枝での北朝鮮戦、中国戦は応援に行っ
たが、日本は世界ユース行きを逃した。「来年の世界ユースではと思っていたので…」と悔しが
る。

 トレーナーのおかげもあり、9月中旬に復帰。復帰戦となった全国総体8強の草津東(滋賀)
との練習試合ではゴールを決めた。昨年は県選手権で最優秀新人に輝き、全国選手権では
唯一の得点をアシストと大舞台でも力を発揮する。

 病気はまたいつ起きるか分からないが、怖さも不安もないという。「サッカーをしているときが
1番楽しい。辞めようとも思わない。サイドで動き回るのが僕の仕事。思い切り行く」。全国選手
権でも左サイドをガンガン駆け上がる。

 ◆鈴木崇記(すずき・たかのり)1988年(昭和63年)1月15日、浜松市生まれ。7歳でサッ
カーを始め、芳川SSSに所属。浜松東陽中時代は、中体連市大会準優勝、県大会8強。県選
抜入り。サッカー部主将をしながら、生徒会長も務めた。藤枝東入学後、U−16日本代表入
り。1年から総体、選手権で全国を経験。好きな選手は中山雅史(磐田)。家族は両親、祖父
母、妹2人。166センチ、58キロ。血液型B。

[2004/12/2/10:58 紙面から]

藤枝東GK碓井、父譲り身体能力
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(6)DF碓井健平>

 藤枝東の守護神・碓井健平(2年)は、元日本代表FWで藤枝東OBの博行氏(51)を父に持
つ。「プロの選手も(家へ)遊びに来てたし、知らないうちにサッカーが身近にあった。父は今、
何も言わないけど影響は大きい」。中2で全国準V、全中3年連続出場を経て鳴り物入りで入
学。1年の新人戦から正GKの座をつかんだ。父譲りの高い身体能力を誇り、1対1に強い頼
れる守護神だ。

 だが、今年は挫折を味わった1年だった。新人戦決勝の浜名戦では無謀な飛び出しで失点
し、0−1の惜敗。33年前に父が成し遂げて以来の総体制覇を狙ったが、1回戦前橋育英(群
馬)戦で自らPKを外して敗れた。しばらくはショックで練習にも集中できなかった。県選抜で国
体優勝を果たしたが、控えのままでゴールを守ったのはわずか5分ほど。「自分の未熟さを感
じた」。

 97年度に同じく2年で全国選手権を経験した大塚智紀GKコーチ(24)は「今回(選手権で)
結果を出せば大丈夫。苦い思い出もプラスになる」と励ます。碓井の夢は、父子2代の代表入
り。まだ足踏みするには早すぎる。2年生だが、選手権へかける思いは人一倍だ。

 父博行さんの話 好きなことをやってくれればと思っていたら、自分でサッカーを選んだようで
す。できればFWをというのもありましたが、小5でGKにさせられましたね。キックの精度もいい
し、最近は冷静さも出てきた。GKは専門的なので、あまり何もいいませんが、新人戦決勝で負
けたときは「飛び出しすぎたんじゃないか?」と言いました。プロを目指してほしいということはな
い。進路は自分で決めてくれれば。でも(母校の)藤枝東を選んだときはうれしかった。しっかり
したやつです。思い通りに育ってくれていますよ。最近はメールで連絡を取り合っています。

 ◆碓井健平(うすい・けんぺい)1987年(昭和62年)5月15日、千葉県船橋市生まれ。高柳
小では柏ジュニアに所属し、FWでプレー。体が大きいことなどあって小5からGK転向。東海
大一中に進学し、2年で高円宮杯全日本ユース選手権準優勝。全中大会は3年連続出場し、
2年で全国16強、3年で8強。家族は両親。好きな選手はユベントスGKブフォン。181セン
チ、73キロ。血液型A。

 ◆碓井博行(うすい・ひろゆき)1953年(昭和28年)8月4日、藤枝市生まれ。藤枝中1年で
サッカーを始め、藤枝東に進学。2年で国体、全国選手権優勝、3年で、国体、全国総体優
勝。早大4年では得点王。76年に日立(現柏)入りし、87年までプレー。11年で日本リーグ2
00試合に出場、通算85得点は歴代2位(得点王2回)。日本代表として78年W杯予選などA
マッチ38試合15得点。89〜92年には日立監督も務めた。4年前から茨城・土浦でサッカー
スクールの指導に当たっている。

[2004/12/3/11:00 紙面から]

藤枝東FW中村、リベンジに燃えるエース
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(7)FW中村祐輝>

 得点力不足に苦しんだFW中村祐輝(2年)が、取り戻した「背番号9」で全国選手権に臨む。
1年春からレギュラー。今春にはU−17日本代表入りも果たした将来有望なストライカー。だ
が、今年の全国総体、全日本ユースと無得点に終わった。5月23日の県総体2次リーグ以
降、公式戦でのゴールがぱったりと途切れた。「試合で取れない。夏に背番号を9から15にさ
れた。思い出したくないくらい悔しかった」。

 調子は悪くない。なのにポストやバーをたたくなど不運も続き、点を取れないことが焦りに変
わった。シュート練習を繰り返すしかなかった。

 県選手権準々決勝の東海大翔洋戦で約半年ぶりに得点し、チームは1−0で辛勝。何かが
吹っ切れ、県選手権3戦3得点の活躍で、得点王にも輝いた。

 昨年の全国選手権は先発出場し、先制点を挙げながらも途中交代を命じられ、その後逆転
負けした。「交代は悔しかった。31日に負けて紅白歌合戦の時間に反省会。もうそんな思いは
したくない」。

 FWの苦しさも味わったが「やっぱりFWっておいしい。決めればヒーローになれるし、信頼さ
れる。1試合1点が目標。大舞台が好きだから選手権は燃えますね」。エースとして出られる喜
びをかみしめながら大舞台に立つ。

 ◆中村祐輝(なかむら・ゆうき)1987年(昭和62年)6月4日、静岡市生まれ。竜南小4年で
サッカーを始め、竜南中入学後、清水ジュニアユース入り。日本クラブユース選手権東海大会
優勝、全国16強。今年5月にはU−17代表のオランダ遠征に招集された。好きな選手はRマ
ドリードFWロナウド、ユベントスFWデルピエロ。年下だが東京Vの森本も意識。家族は両親、
弟2人、妹、祖父母。182センチ、73キロ。血液型AB。

[2004/12/4/11:37 紙面から]

藤枝東DF知野、中盤からAチームへ
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(8)DF知野匡伸>

 知野匡伸(2年)はDFへの転向をチャンスに、メンバーに定着した。昨季はBチームの控え
かCチームに甘んじ、全国選手権はスタンドで応援。決勝戦は家族と観戦に行った。「あの雰
囲気の中でやれたら幸せだろうと思ったけど、自分が今年メンバー入りするとは考えもしなか
った」。

 小学生のころから中盤。新チームになり、DF転向を告げられた。「正直嫌だった。冬合宿で
は人が足りずGKもやった。悩んだ」。1年主体で出た新人戦東海大会で初めてDFとして出場
し、大塚コーチに褒められた。その後、少しずつAチームの練習に参加できるようになった。

 トップでの公式戦初出場は5月のプリンスリーグ四中工戦。DF2人が同時に故障し、出番は
突然やってきた。「『出ちゃっていいの?』って思った」。総体でも先発出場。ミスも連発したが、
フィジカル強化など努力を続けた。9月の全日本ユースも全3試合に出場し、初の全国で貴重
な経験をした。

 選手権県予選では故障者が復帰し、控えに逆戻り。それでもDFの面白さを語れるまでに成
長した。「競り合いに勝ったときはたまらない。小関さんに間合いなどを教えてもらったのが大
きい」。知野の存在感は日に日に増している。

 ◆知野匡伸(ちの・ただのぶ)1987年(昭和62年)7月12日、焼津市生まれ。沼津第四小
1年でサッカーを始め、4年から焼津南小に移り、焼津JFC所属。市の選抜にも選ばれた。焼
津中では県8強が最高。中西部トレセンに選出された。好きな選手は磐田FW中山雅史。幼い
ときに藤枝東の初蹴りでもらった中山のサインが宝物。将来の夢は体育教師。178センチ、6
3キロ。血液型O。

[2004/12/5/13:00 紙面から]

MF植松「ポスト赤星」と「背番号10」狙う
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(9)MF植松諒大>

 植松諒大(2年)は「ポスト赤星」を狙っている。2年の初めからメンバー入りし、総体県予選な
どでFW、MFで途中出場。抜群のテクニックを持ち、ドリブルで何人もの選手を抜き去る。「途
中出場は難しいけど、ドリブルには自信がある。途中で流れを変えるのが僕の仕事」と今はス
ーパーサブに徹する。

 もちろん、そこに甘んじるつもりはない。根っからの負けず嫌い。中学のときに清水商、静岡
学園、藤枝東の練習に参加したが、服部監督に「おまえらの中で使えそうなやつはいない」と
言われ、悔しさからあえて藤枝東を選んだ。

 今季の大黒柱、赤星にあこがれ、赤星を目標にしている。今は控えだが、来年はトップ下の
レギュラーを狙っている。今年はベンチから先輩の動きを見て、多くを学んだ。

 植松「赤星君は統率力があって、信頼されている。1本1本のパスにメッセージがこもってい
て、味方を考えて出す。僕にもテクニックは負けないくらいあると思うけど、ドリブル中心で『自
分が、自分が』となりすぎてしまう。『周りを使うのも大事』と服部先生に注意されるし、赤星君
にも『持つ場所を考えろ』と言われる。まだ僕には信頼が足りない。でも、10番は狙っている。
(10番を)もらうのにふさわしくなるよう頑張ります」。

 藤枝東の背番号10、心に響く選手を目指す。

 ◆植松諒大(うえまつ・まさたか) 1987年(昭和62年)10月9日、静岡市生まれ。中田小
時代は静岡FCでヤオハン杯市大会優勝など。大里中ではキューズFCに所属し、県クラブユ
ース準V、全国で16強。県選抜にも選ばれた。将来の夢は介護士、サッカーの指導者。尊敬
しているのは磐田FW中山雅史、好きな選手はユベントスFWデルピエロ。165センチ、54キ
ロ。血液型A。

[2004/12/8/10:38 紙面から]

救世主MF滝田、苦境に出番
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(10)MF滝田哲也>

 滝田哲也(3年)が、全国選手権に向け、猛アピールする。4日の磐田との練習試合では、7
分間の出場だったが、右サイドで持ち味であるスピードを十分に発揮。プロを前にしても、動じ
ることなく、高い技術を見せつけた。「少ししか出られなくて、悔しいし、難しいけど、流れを変え
るのが僕の仕事」。

 今年の総体東海大会では準決勝、決勝と大事な場面で2戦連発。レギュラーに危機感を与
えた。だが、先発に定着できない。「悔しいけどそれが現実。自分の甘さです」。今はスーパー
サブに徹し、役割を忠実にこなしている。

 清水ジュニアユース育ちで、同ユースへの道もあったが、選手権出場にあこがれて藤枝東に
入った。浦和入りする赤星とは今年で6年目。大きな影響を受けた1人だ。「アイツがいたから
僕も成長した。僕がレギュラーになれず、2人の連係を見せる機会が少ないけど、アイツに使
われるのが楽しかった。アイツを信用して何本走ったかなあ。とにかく選手権は出たい。必死
ですよ」。

 昨年の選手権はピッチ脇で、終了のホイッスルを聞いた。「今年はピッチに立って、チームに
貢献したい」。チームが苦境に立ったときこそ、救世主・滝田の出番が回ってくる。

 ◆滝田哲也(たきだ・てつや)1986年(昭和61年)11月9日、焼津市生まれ。焼津港小1年
からサッカーを始め、焼津JFCに所属。県選抜に選出された。焼津港中では清水ジュニアユ
ースに所属し、2年でナイキ杯全国準V、高円宮杯全日本ユースで全国優勝。卒業後は東農
大に進学。好きな言葉は向上心。好きな選手はバルセロナMFロナウジーニョ。家族は両親、
兄、姉。167センチ、62キロ。血液型A。

[2004/12/10/10:21 紙面から]

藤枝東GK村松、背も技術も成長の予感
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(11)GK村松太介>

 GK村松太介(1年)は172センチとGKとしては小さい。それでも、東海総体や正GK碓井(2
年)がプリンスリーグで退場した際にも公式戦に出場、控えGKに定着した。

 父弘康さんは180センチ。周りには「まだ身長は伸びる」と言われる。いとこも高校3年間で
10センチ伸びた。中学時代、ジュビロ浜北のコーチに「背があればユースにいれてやる」と言
われ、積極的に牛乳を飲むなど、自分なりに試したこともあった。

 村松太「背が伸びずに、中学のときはすべてを背のせいにした。でも、ただ逃げてただけか
も。まだ伸びる可能性はあるけど、それに期待するより、小さいなりにどう対応すればいいかを
高校に入って考えるようになった」

 168センチの元メキシコ代表GKカンポスのビデオを見て、プレーを研究。ウエートトレーニン
グも欠かさない努力家だ。「キャッチングはしっかりしているし、安定感がある。じっくり見て、冷
静な判断もする」と大塚智紀コーチ(24)は村松太の良さを挙げる。

 先輩の正GK碓井の存在も大きい。「大きな山。僕が出るにはすごく練習しないと。ポジショニ
ングやキックの質など負けないものをつくらないと」。向上心の高い1年生GKはまだまだ成長
する。

 ◆村松太介(むらまつ・たいすけ)1988年(昭和63年)4月13日、浜松市生まれ。5歳でサ
ッカーを始め、白脇小時代は浜松JFCに所属し、全国制覇も成し遂げ、ナショナルトレセンに
も選ばれた。南部中時代はジュビロ浜北に所属。クラブユース全国大会に出場。県のトレセン
にも選出。好きな選手は来季磐田入りするGK川口能活。172センチ、64キロ。血液型A。

[2004/12/12/11:05 紙面から]

藤枝東服部監督、Bチーム強化し戦力安定
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(特別編)服部康雄監督>

 藤枝東で指揮を執って今年で10年目の服部康雄監督(48)は、選手権、総体、全日本ユー
スを合わせ、チームを9度の全国大会に導いている。選手権は今回が3度目だが、県大会準
優勝も3度と毎年安定した力を維持する。服部監督の「Aチームと同じくらい下の選手にも目を
かける」姿勢がチームを強くしている。

 現在部員は56人。Aチームは25人。そのほかはBチームだ。Aの強化はもちろんだが、B
の対外試合もほぼ毎週組み、強化を図る。いい人材をどんどんAに送り込む。練習後は1年
生にこまめに声を掛け、選手一人ひとりに目を配る。「Aチーム以外の選手のケアが大事。A
チームを応援しないBチームではいざというときに勝てないよ」。

 監督の師匠は高校時代の恩師・長池実氏。監督にとってサッカーは「仕事であり、趣味であ
り、特技。サッカーを辞めてのんびりしようと思った時期もあったが、あきらめた」。

 指導者として全国選手権最高位はベスト4。「全国で藤枝東のサッカーを披露したい。自分た
ちの手で静岡を元の地位に戻したいという気持ちはある」。選手時代にもかなわなかった選手
権での全国制覇を監督もひそかに狙っている。

[2004/12/13/11:23 紙面から]

MF佐塚、大けがで精神的に強くなった
 
<12月30日全国高校サッカー選手権開幕:藤枝東メンバー紹介(12)MF佐塚季之>

 一瞬の出来事で、MF佐塚季之(3年)のサッカー人生は大きく変わった。1年からAチーム。
新チームになった新人戦に出場し、これからという高1の3月に悲劇は起こった。

 いつもと変わらぬ、紅白戦中だった。「骨の音を聞いた。ボキッと。足が抜ける感じがした」。
左ひざ前十字じん帯断裂だった。

 4月に手術をし、つらいリハビリが始まった。トレーナーのつくった筋トレメニューで毎日、上
半身とヒザの回りの筋肉を鍛え、けがをしにくい体づくりに励んだ。「ボールを使えない期間は
つらかった。もう1度サッカーをする、それだけを考えて続けた」。自転車で1時間かけての通
学もいいリハビリになった。

 復帰したのは昨年12月。選手権前だったが、メンバー入りするはずもなかった。ひざが前の
状態に完ぺきに戻ることはなく、冬は特につらい。新人戦、総体後に引退する3年もいたが「辞
めようとは思わなかった。前以上にサッカーが楽しいし、最後まで続けると決めたから。けがが
なかったら…と考えたりもするけど考えても仕方ない」。

 プレーできない間は、海外サッカーを見て勉強した。将来は選手の移籍などを扱う仕事をし
たいという。「自分がどれだけサッカーが好きか分かった。苦しかった分、精神的に強くなっ
た」。選手権でも佐塚の精神的な強さが大きな役割を果たすときが来るはずだ。

 ◆佐塚季之(さづか・としゆき)1986年(昭和61年)6月13日、島田市生まれ。金谷小2年
でサッカーを始め、金谷中ではEWSに所属し、県ベスト8。家族は両親と弟。好きなチームは
インテルで、好きな選手はインテルMFエムレ。代表ではチェコが好き。好きな言葉は「一生懸
命」。174センチ、75キロ。血液型O。

[2004/12/14/10:43 紙面から]


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