蹴馬鹿の窓 NO.21

もうひとつの北朝鮮。
2004.2.2 kazua510

日本のマスコミは どうしてこうも極端なのだろう?

間もなく始まる 06ドイツW杯最終予選。
その初戦 相手国となる北朝鮮への連日の報道を見ていると
どうにも日本の報道が極端に思えてしまう。
確かに 北朝鮮という国は謎が多い まして現在の両国関係を考えれば
マスコミが加熱するのも しかたがないのだろう。

だが その入り口に サッカーを使ってほしくない。

まずマスコミに矢が向けられたのは 2人のJリーガーだった。
新潟の 安 英学(アン・ヨンハッ) 広島の 李 漢宰(リ・ハンジェ) 
共にJリーグから北朝鮮代表に選ばれた。
代表召集前のインタビューで
「どんな選手がいるのか?」「どんなサッカーをするのか?」「上手く溶け込めるか?」
質問が矢継ぎ早に飛ぶ 彼らは 慎重に 誠実に ひとつひとつ答えていた。
そんな映像を見ながら 「大丈夫なんだろうか?」と ひやりとする

確執が生まれるのでは 裏切り者扱いを受けるのでは そんな思いがよぎる。

だが そんなことは 取材者側も折込済みだろう 意地悪な言い方をすれば
本国の代表選手と2人のJリーガー その間にある壁を映したかったのだろう。
そう思ってしまうと 連日流されるニュースも 快く見ることは出来なかった。

93年Jリーグ開幕時に 韓国人選手 盧 廷潤(ノ・ジュンユン)がいた
将来を嘱望された彼が Jリーグへ行くにあたって 相当な反感を買ったと言う
国外に それも日本に行く 当時では考えられない出来事だった

正直なことを言えば その頃 韓国が好きじゃなかった いや 大嫌いだった
無論 サッカーのことでだ 社会的背景なんてまるで興味はない
ただ 隣国で ライバルで 到底追いつきそうもない巨大な壁 それが韓国だった
そんな国から来た ノ・ジュンユンを いつの間にか羨望していた
彼や洪 明甫(ホン・ミョンボ)を見るうち 韓国人プレイヤーへの偏見はなくなっていた
その後の 韓国人Jリーガーの多さを見れば 先駆者として行った彼の行動が
いかに大きかったが分かる だが本国では少し違ったようだ
彼へ張られた"裏切り者"のレッテルは 長い間 剥がされることはなかった

今回の北朝鮮代表に選ばれた2人に 同じ様なことがあるのではないか
そんな心配をよそに 2人はスムーズに代表へと 溶け込んだ
すると日本のマスコミ各社は 潮が引くように 熱も冷めてゆく
まるで 期待通りの画は撮れそうもない と諦めたように。

結局 北朝鮮の戦力を分析することもなく 注目の選手を取り上げることもなく
W杯最終予選 その初戦の大切さを訴えることもなく
ニュースで取り上げる時間は 日を増すごとに減っている
いったい何の情報を流したかったのか 突付くだけ突付き 何もなければ サッと引く
私には まったく必要のない情報ばかりだった。

そして今回の北朝鮮の報道を見聞きする時 必ず一人の選手が思い出される。



「ジョンソンは 頑張ってますか?」
一人の高校生らしき少年が聞いてきた 
ジャージ姿のサッカー部員だった。


私が始めてコンサドーレのアウェイを観戦したのは 96年9月 対神戸戦。
コンサ初年度から アウェイ観戦と言えば 随分熱心なサポーターと思われるでしょうが
実のところ ラウドルップや永島が見たかった ただそれだけでツアーの申し込みをした
阪神大震災から1年半が経っても 街の至る所で その傷跡は見られる
「そこの道路が陥没してたんですよ」 タクシーの運転手が事も無げに言う。
壊滅状態の街から 日ごとに復興を遂げようとする最中だった
町全体に そのパワーが溢れている それはヴィッセル神戸の選手にも表れていた。

日中の30℃を超す暑さに驚いた 札幌なら もうとうに涼しくなっていた頃
それでも夕方から日も暮れる頃になると 多少は過ごしやすく
ツアーの一団と一緒にゴール裏へ座った 僅かな風が心地いい

神戸総合運動公園ユニバ記念競技場 厚別の3倍はあろうかと思える巨大なスタジアム
見渡す限りの座席は ポツポツとしか埋ってなく なお更 閑散に思えた。
関西周辺の札幌サポーターも少しづつ集まりだす 100名ほどになったゴール裏
Jリーグ昇格へ向け1敗も許されない状況 まして相手はトップの神戸
否が応でもサポーターの熱は高まる 僅かな風と熱気を帯びた空気 6時の開始を待った

試合は序盤から 一方的な神戸ペース コンサドーレは形さえ作れずに失点を重ねた
神戸はラウドルップを中心に多彩な攻撃を仕掛けてくる
前節の本田戦で負傷したペレイラを欠く札幌の守備陣に 守り切れる力はなかった
攻撃も神戸の永島のような決定力はない 唯一 木島がキレのある突破を見せただけ
前半を0−2で終えた。力の差は歴然に思えた。
チームの総合力としても 神戸には十分Jリーグで通用する力があった
コンサドーレが彼らとどこまでやれるか それがJリーグとの力を計る定規でもあった
前半0−2の点差 いやそれ以上の力の差に 札幌のゴール裏は重く沈んでいた。

ハーフタイムに その少年たちが ゴール裏へやってきた。
「ジョンソン 頑張ってますか?」 そう聞かれ 誰のことか分からなかった
ジャージに入った"神戸朝鮮高校"の文字を見て ようやくその選手ことと知った

金 鍾成 (キム・ジョンソン) FW 背番号 42

後にも先にも 札幌で北朝鮮の選手がプレーしていたのは 彼 だけだ。
元北朝鮮代表 92年のダイナスティカップでは 日本から得点も挙げた
朝鮮蹴球団からオフトのオファーを受けジュビロ磐田へ 翌年 コンサドーレへ移った
スピードが武器の 突破型フォワード。
だが 正直なところ選手としての魅力は少なかった 
スピードと言っても 彼より足の速い選手はいくらでもいた 反応力もさほどではない
トラップも甘く ポストが出来るほどのキープ力も持ち合わせてはいなかった。

少年が聞く「頑張ってますか?」の問いに 「…まぁまぁ」と苦笑いで答えるしかなかった
そんな社交辞令のような答えにも 少年は嬉しそうに反応する
振り返ると 20名ほどの部員たちが ぞろぞろとゴール裏へやってくる
押されっぱなしの前半を見て いてもたってもいられなくなった と言う

「一緒に 応援させてください」

断る理由はなかった 部員たちが隣に座る 監督も一緒にいる
「ジョンソンは札幌で人気ありますか?」 「活躍してますか?」
部員たちが次々と質問してくる 彼らの純粋な目を見ると 正直なことは言えず
「まぁまぁだな」と曖昧な返事しか返せなかった。
そうこうしている内 後半が始まる ペースは相変わらず神戸のまま
3点 4点 失点はどんどん増えて行く 敗戦が確定的になる
札幌ゴール裏の声援は段々と小さくなり 溜息に変わって行く。

「この旗 借りていいですか?」

札幌から持ってきたフラッグが 何本も床に置かれたままになっていた
その1本を取り上げ 少年が言う 
「ああ いいよ」 そう答えると 力強く振り出し 大きな声で
「コーンサ ドーレ! コーンサ ドーレ!」  声援を始めた
他の部員たちも 次々とフラッグを持ち始める
「コーンサ ドーレ! コーンサ ドーレ!」 一斉に 声援は更に大きくなる。


96年 コンサドーレが誕生した年。 北海道初のプロスポーツとあって
チームもサポーターも どう繋がって行けば良いか 試行錯誤していた
どう応援するべきなのか どうサポートするべきなのか
戸惑いながら 一歩一歩 一試合一試合を重ねていった。
ツアーに参加した人たちも 様々なスタンスで見ていたのであろう
「試合は行くけど 応援はどうも…」「コールや フラッグは ちょっと…」
そんな人が 割と多くいた。 私も そのひとりだった。

「皆さん 応援 お願いします! フラッグ たくさんありますから!お願いします!」
応援の中心から 何度も叫ばれていた
だが フラッグを持つ人は一向に増えなかった。

床に置かれたフラッグは 応援への戸惑い そんな証だった。

そんな中で サッカー部員たちは 何の躊躇いもなく フラッグを振り出す
「コーンサ ドーレ!」 彼らの声援は終了が近付いても 衰えることはない
その真っ直ぐさに 少し引け目を感じ そして 感動した。

試合は まったく歯が立たず 1−5の完敗。
Jリーグ昇格の夢は 実質 絶たれた。 それと同時に 力の足りなさを痛感した。
試合終了後 愕然と肩を落とす 選手たち ゴール裏サポーター
力なくコンサドーレコールが起こる 応える選手たち 中には 泣いている選手もいた。
キム・ジョンソンは途中交代し ベンチでその様子を眺めていた。

「ほら 先輩に挨拶せんか」

監督が部員たちを促す 我に返ったかのように 少年たちは声を出し始める
「キーム ジョンソン! キーム ジョンソン!」
その声はスタジアム全体に響き渡り ベンチのキムにも届いた
立ち上がり 手を振るキム 少年たちの声は一層大きくなった
「キーム ジョンソン!キーム ジョンソン!」
キムは 小走りで挨拶に並ぶ選手たちの元へ行く
「キーム ジョンソン!キーム ジョンソン!」 声援は止むことはなかった
ひとりの少年が 最前列まで駆け寄る 思い切り手を伸ばす
一斉に他の部員も駆け寄る キムも少年たちの下へ駆け寄る
ひとりひとりと握手をする 何か叫びあっている
何を言っているか 聞き取れなかったが

「頑張れ 頑張れ」 そう言い合ってるように思えた。


「ジョンソンを 金 鍾成を お願いします」
ジャージ姿の少年が そう言い残し 帰って行く
遠く札幌で ひとり奮闘する同士。 
彼らにとって キムは誇り なのだろう
試合結果よりも 得点よりも そこに存在すること
それが 彼らの喜びになる。

一心に応援する人 それを喜びで返す選手
サポーターのあるべき姿 を見せてもらったような気がした。

初のアウェイ観戦は 1−5の散々な結果に終わった。
だが その中で キム・ジョンソンと神戸朝鮮高校サッカー部の見せてくれたものは
何かとても尊く 大切な思い出となった。


あれから8年余り。
キム・ジョンソンはチームを去り 社会情勢も変化した。
だが あの日見た キムと部員たちの絆 深く結び合った彼らの姿は
今も 色褪せることなく 鮮明に 残っている。


管理人から
ちなみに金 鍾成氏は現在、東京朝鮮学校の監督をされているようです。
ちゃんと繋がっているのです。

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