デリ・CDZ!


  1993(イチ・キュウ・キュウ・サン)

2004.1.28

  1993年、Jリーグが開幕した。

 どれほどこの日を待ちわびただろう。イヤ、別に「プロ化」を願っていたわけじゃない。TVのチ
ャンネルをあわせれば、いつでもサッカーがみれる、その夢が実現したんだ。
  それまで、まぁ全国的には「ダイヤモンドサッカー」なんていう番組があったようだが、俺は知
らない。せいぜい地元の高校が選手権に出場するとき、それと天皇杯準決勝以上くらいしか放
送されなかったような気がする。


 だが開幕戦、ヴェルディ川崎VS横浜マリノス。期待はずれだった。華やかすぎる演出、何を
期待しているんだか分からないスポンサー様、そして「悪役」と思われたマリノスの勝利。
  言っておくが、八百長チックな「ヴェルディのVゴール勝ち」を期待していた訳じゃない。ただ、
ヴェルディの、そしてマリノスの目指すサッカーが理解できなかった。


  そして願っていたTV放送、俺にとっては都合の良いことに各クラブ均等に放送される。「エス
パルスの華麗なパスワーク」・「侮れないサンフレッチェ」・「(ある意味)日本離れしたしたフリュ
ーゲルス」どれも楽しかった。だが・・・、なにか物足りない。サッカーエリートさんが華麗に舞う、
そんなプレーは俺には無縁な世界だ。

  そんな中、あるクラブに引きつけられた。その名は「浦和レッドダイヤモンズ」。サッカー界で
名門とも言える「三菱」の名を抱き、あの「赤き血のイレブン」を彷彿とさせる赤いユニフォー
ム。弱いわけがない、だが。
 あまりのだらしなさにひっくり返る。成績はほとんどドベ。なんだこりゃ?とあきれてしまうのだ
が、それと同時に・・・。90分フルに走り回る、泣きながら、鼻水を垂らしながら。
  なぜだろう?このクラブに魅力を感じてしまったのは。そんなに俺は変わり者なのか?(だが
後に道内にも「レッズ好き」があまりにも多数いて愕然としてしまうのだが)


  そして95〜6年、現浦和監督のブッフバルトが加入し、このクラブは変わった。統率されたデ
ィフェンスライン、意味のあるカウンター。やっと大将(福田正博氏)の持ち味が発揮されるよう
になった。
 ある試合の勝利者インタビュー。粋なことに、某DFが壇上に立った。

アナウンサー:最後まで集中を切らせませんでしたね〜

  彼   :(半泣き状態で)初めて相手を反則しないで止められました・・・。


  この、プロとは思えない受け答えの中で確信した。ここは強くなる、と。




  だが現実とは厳しいもので、やっと芽生えてきた安定感の中で、その個性は忙殺された。し
だいにレッズを客観的に見つめる俺がいた。
  言っておくが1996年、地元に「コンサドーレ札幌」が誕生したことと、レッズに対し距離を置
いたことにはナンの関係もない。おかしな話で、レッズに対して「アッ、ここは俺がいなくても大
丈夫だ」的な感覚だったのである。


  月日は流れて2000年、レッズとコンサが共に戦った年である、そうJ2で。
 「なんでこんな所にいるんだ〜」といらだち、相手サポーターに罵声を浴びせるレッズサポ。だ
が、それに落胆はしない。そんなことよりもレッズ自体の戦いぶり、これにあきれた。(J2の中
では)豊富なタレント、資金を有しているのにもかかわらず、ある意味93年当時以下だ。自分
の故郷が、すっかり荒れ果ててしまったような感覚が襲う。
 
 そして今現在、遙か雲上の彼方へ駆け昇っていったレッズを見上げる。



  このサイトが、この文章が「レッズ好き」の人達に読まれるとは思っていない。
  だがもし眼に触れたとき、どうか怒らずに読んで欲しい。


  レッズよ、チーム最大の危機が「J2降格」だったなんて甘ったれたことを言うな!
こっちは毎年「消滅の危機」にあってるんだぞ!

  レッズよ、「タイトルが取れない」なんてほざくな! J2の時だって同じだっただろ!

  レッズよ、エメに頼るな! その時代は終わった。

  レッズよ、今年は最低ノルマが「完全制覇」だ!それくらいできるだろ?


そして・・・・


 レッズよ、たかが一人の選手が移籍したくらいで騒ぐな!オマエ等には守るべき宝が別にあ
る。



  俺は、「現コンサ好き」としてでなく「元レッズ好き」としてでもなく、「北海道のサッカーファン」
としてこの男を見守り続ける。山瀬功治を。



2004.12.25

最近感じていることなどをベタベタ書いていこうと思う。

 実は・・・、数年前からあることにスンゴイ興味を持っている。それは、「お遍路さん」。正式に
言うと「四国八十八カ所巡礼」とでもいうんだろうか?この八十八カ所について細かく書きはし
ないけれども、歩いて四国をぐるっと回る。ただ、それがやってみたくて仕方がない。

 こんなこと考えるの俺だけかと思っていたのだが、数年前までは年間千人足らずだった「歩
き遍路さん」、最近では2千人を超えているんだそうだ。その余波?か何かは知らないけれど
も、歩いた人の旅日記みたいなモノがずいぶん出版されたり、サイトにアップされたりしてい
る。

  で、これらのサイトやなんかを見ると、「スタンプラリー気分」の若者から「それなり」のお坊さんま
で、結構みんな同じような感想を持ったりしているんだ。それは、
  ※チョット解説:「スタンプラリー気分」→八十八カ所の寺ごとに「御朱印」なるものが置いてあり、
それを集めることだけに精を出す(ろくに拝みもしない)ってこと。

  徳島県内の1番札所「霊山寺」から23番札所「薬王寺」くらいまでは、「ナ〜んだ、結構楽ジ
ャン!」みたいな感じ。
 そしてこれが高知県内に入ると、ヤレ「足の皮がむけた」だの「野宿してたら近所の犬に追い
かけられた」だの「看板の書き方が悪くて道に迷った」だの・・・。もう人間の本性そのまんま。そ
んなに文句言うなら辞めればいいのに、と思ってしまう。
  で、こ〜んなわがままな人達(失礼!)でも、中間を過ぎる愛媛県辺りからナンか妙に変わ
る。「あのとき道ばたでいただいたミカンの味が忘れられない」、「俺はこの路を歩いているんじ
ゃなく、歩かせてもらってるんじゃないか?」とか。
  そして最後の香川県に入ろうモノなら、「ホントは結願(八十八カ所回りきること)したくないん
だ〜」みたいな匂いさえ感じてしまう。
  
 さて、この遍路に興味を持ったきっかけが、「四国八十八カ所巡り」と「J2年間四十四試合」
が似ている、と思ったことだなんて言えないけど・・・。
  実は最近、こんな事を考えているんだ。

 「J1に昇格することは目的じゃない!」って。

  もちろんブッチギリで優勝して欲しい、それがダメならギリギリ2位ででも昇格して欲しい、って
気持ちはある。けど・・・、J1に昇格して何かが変わる訳じゃない、むしろ今抱えている問題が
そのまんまさらけ出されることにしかならないんじゃないか?って。
 コンサはこれまでに2回、J1に昇格した。その2回とも「これでビッグクラブへの道は開かれ
る」・「ビッグスポンサーが現れて借金帳消し!」・「コンサから出ていこうとする選手がいなくな
る」なんて幻想を見ていた。だが実際は・・・、付け焼き刃のような経営方針・定まらない戦術・
外国人頼みetc。J2時代、「J1に上がれば解決する」ハズだったことが結局足を引っ張る結果
に。

 ウ〜ン、急いでJ2遍路を駆け抜けたら、それこそスタンプラリーのように抜けられちゃうのかもし
れない。でもそうやって結願したとき、「道ばたでいただいたミカンのおいしさ」や「野宿をさせて
くれた人の想い」を感じることが出来るんだろうか? そう、結果として「昇格」したいと思う。

 これを実現するには・・・、もう当たり前だけど一試合一試合真剣に戦って、乗り越えていくし
かない。道に迷っても、犬に追いかけられても前を向いて進むしかない。でも、俺等はまだ「一
番札所」にもたどり着いていない。来年J2が開幕したとき、そこから長く、険しい戦いが始まる。
丁度徳島にもJ2が誕生することだし。取りあえず、この間の丸亀・ジュビロ戦でウォーミングア
ップは終わった。もう、後戻りは出来ない。
  
 あとどれくらいかかるのか分からない。1年なのか、2年なのか、5年なのか。でも、無事にゴ
ールにたどり着いたときには来た道を振り返り、静かにこう言いたい。
「ありがとうございました」と。


長 い 夜 だ か ら
     〜RE観戦の薦め〜
2004.12.25

 まったくの私的嗜好な話なのだが・・・。

 実は俺、30才を過ぎるまで酒がほとんど飲めなかった。それが最近になってやっとジョッキ2
杯くらいならなんとか、となった。でも酒とは不思議なもので、未だに仕事関係の飲み会の時
は、なめただけでひっどい頭痛がしてしまうのだが。

 さて、「飲めない」と結構これはこれでおもしろいことがある。普段「グルメ」とは正反対な俺な
のだが、酒だけは妙に味が分かってしまう。
 ビールだけに限定してみよう。昔はサッポロビールで出していた「焙煎」っていうのが好きだっ
た。これが製造中止になってからはクラシック一筋。これ、別に「コンサのスポンサーさんをヨイ
ショしよう!」てな意図じゃありませんよ。

 で、同じクラシックでも缶より瓶の方がウマイ。もっと言えば、「缶のビール」よりも「瓶の発泡
酒」の方がウマイと感じちゃうんだが。

  てなことをきっかけに、「リサイクル・リユース」なんていう世界のことに妙に興味を持ってしま
った。目指すは「瓶帝国ニッポン」。出来る限り瓶製品を、そしてリサイクル品を利用しよう、っ
てこと。

  まずは学校給食。教育委員会へ行って「味気ない紙パックを止めて瓶牛乳の復活を、」と訴
えようと意気込んだのだが・・・。まぁ教育関係団体にそのような趣旨が伝わるわけもなく。かと
いって、紙パック業者からリベートでももらっている風でもなくあしらわれた。
 理由は簡単。学校は年の3分の1が休み。この期間、瓶牛乳製造ラインをどう維持するかが
問題、なんだそうな。確かにこの間寝かせておくわけには行かないんだろうけど・・・。

  続いて訪れたのは某コーラメーカー。そう、ある意味「赤黒」系ですな。ここの工場を見せても
らったとき聞いてみた。「昔はみんな瓶でしたよね〜」。すると担当の方、「ええ、本当は今でも
瓶にしたいんです、でも・・・」。どうやら家庭用の場合、回収率は50パーセント以下。業務用で
も80パーセント。おまけにひび割れやらガムやなんかが詰め込まれていたりしてとんでもなく
非効率だったらしい。そんなわけで、現在業務用のみ製造ラインが動いているんだそうな。
  ちなみに、回収率が9割を超えるとリサイクル推奨企業(とやら)に指定され、補助金が出る
んだそうだが8割では赤字とのこと。

  そんなこんなである人と出会った。清酒メーカー勤務、年齢30代後半。彼が何を思ったのか
知らない。ただ企画会議の際、こんな提案をしてしまった。

 「北海道の米を使った純米酒を作りたい。容器はリターナブル瓶で」

 「道産純米酒」自体はいい、ただしとっくに製品化しているが。問題はリターナブル瓶。彼の見
解では「色つき」ではダメ、あくまでも透明瓶で、とのこと。

 ※補足もどき
  @:リターナブル瓶・・・何回も使える瓶。一般のビール瓶をイメージしてください。
  A:色つきではダメ・・・どうやら色つきの場合、「粉々に砕いて再利用」出来ないそうなん
だ。

  結局、社内では目立った賛成もなく、かといってあっさり却下されるわけでもなくプロジェクトチ
ームが結成された。もっとも構成員は彼一人。

 売り出して半年、ほとんど売れない。シンプルなラベル、ほかより10円だけ高い価格。そして
回収率は・・・。ディスカウントストアのみならず酒屋でも取り扱ってくれない。そんなこんなで製
造中止も時間の問題・・・。

  本当によく分からないんだ。
  多分、世間一般に「子供達にきれいな地球を」っていえば反対する人はいないんじゃない
か?そして「ゴミ問題を考えましょう」といって、面と向かって「そんなことする必要はない」って
言う人は少ないと思う。
 でも、「ペットボトルやアルミ缶より瓶製品を買おう」って言った場合、
 ・なんで?大きなお世話
  ・安いのが一番!
 ・割れたら大変、それに第一重いし〜

 みんな、ガキの頃は瓶牛乳を飲んでいただろうに・・・。でもこの手の反応しか返ってこないん
だ。もちろんこれらを言う気持ちが分からないわけではない。俺の場合だって、「うまい」から瓶
が好きになっただけだし。

  ちょっと強引なのだけれども、コンサに置き換えてみようか。

  「元気な北海道を作ろう!」って言った場合、まずみんな反対することはないと思う。そして「ス
ポーツ振興の必要性」、これも面と向かっては反対されないんじゃないか?
 でも「コンサを応援しよう! 」となったとき・・・。

 やっぱり
 ・もう飽きちゃった
 ・何で?ウチはサッカー嫌いなの
 ・強くなくっちゃ応援しても意味ないジャン

  てなことにしかならないんだろうな。これ、「コンサ」だけの話じゃなくって日ハムだってアイス
ホッケーだって大なり小なり同じだと思うんですよ。そしてもちろん「瓶製品を買う=唯一絶対の
環境を守る方法」と思っていないのと同様に、「コンサを応援する=唯一の北海道活性化の手
段」だなんて思ってませんからね、あくまでも一つの策として。

   この数年、鉛缶(なまりかん)にでも詰め込まれてしまったようなコンサ、段々とよどんでしま
った。でも、今は違う。割れやすくて、重くて、それでいて本当に繊細なガラス瓶の中のコンサ。
だからこそ思う。 きっかけは何でもイイ、やっぱりもう1度見てもらわないと。

  来シーズンのコンサ、とっても「うまい」ですよ。


プロジェクトCS
 〜激闘:コンサドーレ札幌を追い求めた者達〜
2004.11.17 by consa zippo

(BGM開始)
風の中のすばる〜 砂の中の銀河〜 みんな何処へ行った見送られることもなく〜♪

司会:こんばんは、プロジェクトCSの時間です。今日は最北のプロサッカーチーム、
「コンサドーレ札幌」を追いつづけた人々の物語をお送りします。

NR(ナレーター)
2004年、この年コンサドーレ札幌はJ2リーグ最下位に低迷していた。この年就任した
柳下監督、コーチ、選手達、思うような結果を残せず途方に暮れていた。
誰もがあきらめかけたその時、彼らに奇跡が起きた。
天皇杯4回戦、この年のJ1で好調な成績を収めている強豪ジェフ市原との対戦。
3回戦でアマチュアに苦戦した彼らが勝った・・・。

この勝利に喜び、とまどい、泣き叫んだのは選手だけではなかった。
このチームを応援し続ける者達もまた、泣いた。だがまたもや運命が彼らをもてあそぶ。
5回戦の相手、大分トリニータ。場所は熊本・・・。TV中継は、(多分)ない。

男達が、女達が集まった。「誰でもいい、この中の誰かを熊本に行かせたい!」。
札幌駅ガード下の居酒屋に集う。場を仕切るのは、応援サイトの管理人であった、さくたろう。


座長:どうだろう、この中で誰か1人、俺たちの代表で熊本へ行って、その時の様子伝えてもら
うって言うのは。

NR:誰も異論はなかった。そして一斉にある男の顔を見た。そこにいたのはKazua510。
このところコラムのスーパーヒットを連発している。実績も充分だ。何も問題はない・・・。
だが、その時一人が口を開いた。この集団の不動のボランチ、ルンバだ。

ルンバ:Kazuaさんを一人で行かせるわけには・・・・。

NR:一同、ルンバの言葉の意味を察した。Kazuaの文章は鋭い。だが、時に熱情に傾く。
彼が行くのなら愛妻U子、またはルンバ本人が同伴しなくては・・・。
しかし、この集団に許される交通費は一人分。1度に二人行ってしまった場合、
準々決勝の地へ行くことはあきらめなければならない。

座長:それならば、すがさんとA2さんのコンビはどうだろう?

NR:サイト屈指の論客、すがとA2を送り込もうとする。だが、二人とも忙しすぎた。A2には熊
本へ行き、コラムを書く時間はない。そして、すがのパソコンは不調を極めた。
せっかくの文章も、送信される可能性は低い。またこの時から「二人送り込む」と
方針が変わった。
「静かなるもう一人のボランチ」しのかいが口を開く。

しのかい:あの〜、キャサリンさんとみるくさんはどうでしょう?理由は・・・、
あの、キャサリンさんは遠征慣れしていそうだし、みるくさんは熊本ラーメン、
おいしい店見つけてくれそうな気がするんですけど・・・。

NR:一同、あきれた。ここで、しのかいの兄、コヒカが口を開く。

コヒカ:俺とCZさんでどうだい?ネタの2つや3つ集めてくるよ!

NR:この時、コヒカの脳裏には「コンサドールズの衣装で踊る左門豊作」の姿があった。
一方、CZの頭には「宮崎美子のCM」が・・・。
一同、流した。ここで、謎の大物新人、ひゅいが口を開く。

ひゅい:私と郷里さんで行かせてください。私、今度こそデジカメちゃんと取ってきます。

NR:ひゅいは目に涙を浮かべていた。その真剣さに、郷里考え込む。藤枝から熊本は、
やはり遠い。 もうすぐ夜が明ける。座長が決断した。

座長:よし、カメラ班としてひゅいさん、速報班としてHLサポ@宮崎さんに行ってもらおう!
 ところで今日、何日だっけ?

NR:日付は12月13日。5回戦はもう、終わっていた。会議はなおも続く。丸亀への人選を選
ぶために。


冬が来る前に・・・

  04.10.28  by consa zippo

新潟の地震、本当にひどいことになってしまった。

多少の経験に基づいて言わせてもらうと、「最初はいい、が・・・。」テナ所だろうか。
この地域、(比較的)田舎である。恐らく近所の人達とも顔見知りだろう。
誰々さんが居ないよ〜、なんていう情報もすぐに伝達することと思う。みんな協力しあい、
配給された食糧を分け合い、お年寄りや乳児をかばい支え合えるだろう。
が・・・、今回の場合、余震がひどい。神戸の時も奥尻の時だってこんな事はなかった。
恐らく余震の1回1回が被災されている方々にボディブローのようにきいているはずだ。
そしてむかえる冬、たまらない。

結局行くあてのある人達はその場を去り、残された人達は・・・。おそらくストレスがたまり、
この国の仕組みを嘆いて役場や消防団の人達に食ってかかるに違いない。
そしてその人達も同じ「被災者」であることに気づいて愕然とするだろう。
体力だけじゃなく精神的に・・・・ツライ。

 こんな中、僕らコンサ好きが出来ることはなんなのだろう?もちろん「アルビレックスに
暖かい拍手を送る」なんてコトじゃなく。それに第一、リーグ違うから対戦することもないんだし
(ニガ笑)。
まず冷静に捕らえなくっちゃいけないことは、被災者の方々、「アルビサポ」ないしは「サッカー
好き」と自称するような方々は少数派だってこと。これはそうだと思うんだ。
どんなに新潟でアルビ熱が高まっているとはいえ、こんな緊急事態でもアルビの勝敗に
一喜一憂する人って言うのは本当に稀だと思う。
てな判断の元、本当にわずかな経験だけで書かせてもらえるならば、僕らが出来ることなんて
ホンの数通りしか手段はないように思えちゃう。

@ 物資を送る(救援物資)
心情的には、もう着れなくなったようなコンサのロングコートやマフラーを送りたい 気もする、
でも・・・。
北海道での災害の時に、全国各地から段ボール箱が送られてきた。この一箱一箱が善意の
賜物であることは当然分かる、が・・・。その大半は古着。実際のところフリマで もさばけなか
ったような中古の下着類、これを効果的に配給できたか、また実際に着て もらえたか、
疑問だ・・・。
また別な災害の時、「子供のミルクがない」と泣き叫ぶ母親の姿がTVに映し出された。
するとそれから連日、段ボールに入った粉ミルクが避難所に送られてきた、来る日 も来る日
も。避難所に山と積まれた段ボール、乳幼児はわずか数名。今度はTVカメラがそれを写す、
「皆さんの善意が無駄にされてますよ〜」と言いながら。
こんなこともあって、なんだかモノを贈るってことに気が乗らないんだ・・・・。

A ボランティア活動
一定の目的を持って来てくれる人達のことを言っているんじゃない。北海道の時も
全国各地から多くの人達が集まってくれた。が・・・、中には漫然と来られる方も
やっぱりいたんだ。避難所がある程度落ち着いた状態の時に、子供達に絵本を読み聞かせる
とかガレキを片づけてくれるのはありがたい。でも、本当のパニック状態になっているとき、
彼らもまた「被災者」であることに気づくべきだと思うんだ。被災地に着くなり 「ボク今日どこに
泊まればいいですか?」と言い出すとか「食料配給の列に平然と並ぶ」ようなら
辞めた方がいい。
何の技術も資格もないなら・・・・、その前に仕事の問題もあるしな〜。

B千羽鶴・激励電報など
これまた100パーセント、いや300パーセント善意の塊だ、これを悪く書くわけには
いかない・・・。でも、ヤッパリ気は乗らない。

テナ訳で結局の所、「義援金を贈る」のが最善の選択ではないかと。もちろん、
1万円贈ったからといって、1万円そっくり被災者の方の手元に届く訳じゃない。
人件費やなんかの中間経費、時間的タイムラグ(贈ってすぐに手元に届く訳じゃない)
といった問題はあるのだけれど、やっぱりお金が1番だと思うんだ。

そう思うんだけど、一つだけ妄想を書かせて欲しい。
 コンサでは、マスコットのドーレ君が描かれた「カンバッチ」なんて言うのを売っている。
原価10円にも満たないようなものを500円で売って、利益を支援金にしている。
これの「アルビくん」バージョン、アルビレックスで作ってくれないかな〜。
1個千円で販売して、もちろん利益は支援者へ。
そして何年か後、コンサとアルビが同じリーグで戦えるようになった時、
口では「新潟クズ野郎〜」なんて叫んでいる兄ちゃんのバックにドーレ君とアルビ君バッチが
並んでくっついていたら・・・。

何はともあれ今回のアルビレックス、そしてJリーグの対応は素敵だと思う。どうか一度、
アルビのサイトを見て欲しい。そして、被災地に向かって祈りたい。「何も出来ないけれど、み
んな生きていてくれ」

 アルビ関連サイト  lhttp://www.albirex.co.jp/


ノックの音が・・・  2004.9.8
by consa zippo

ノックの音がした。
ドアを開けるとラテン系の女性が立っていた。どうやらこのホテルのメイドらしい。
彼女は明るく、楽しく、そして歌なんか唄いながら毎日この部屋を掃除をしてくれた。
ある時彼女はこういった。
「お客さんとは、もうファミリ〜よ〜」
まんざらでもなかった。でも・・・、突然彼女は現れなくなった。噂では彼女の給料のことでホテ
ルのオーナーともめたらしい。

ノックの音がした。
眼鏡をかけたオネェちゃんが立っていた。
彼女は、要領が悪かった。イヤ、頭でっかちだったのかもしれない。1年間彼女は悩んだ。で
も、2年目からは見違えるように仕事をしてくれた。本当に何も言うことがないくらい。そして3年
目の終わり、彼女はいきなり言った。
「疲れました・・・」
理由を聞く気にはなれなかった。もし、彼女がもっと高級なホテルで働きたいというのなら、
黙って見送ろうと。

ノックの音がした。
ちょっと釣り目の、傲慢そうな女が入ってきた。
彼女は自信たっぷりにこう言った。
「この部屋を最高に磨いて見せますわ」
でも・・・、わずか数ヶ月で彼女は消えた。無理もない、
掃除機の使い方も知らなかったんだもの。
この後、ゴミだらけのこの部屋に何人ものメイドさんがノックをして、
そしてすぐに消えていった。

ある日ホテルのオーナーが現れた。
「申し訳ございません、今度の子は間違いございません。ただし・・・」
思わず耳を疑った。1人前になるのに5年はかかるって?ふざけるな!!
そしてノックの音がした。

ドアを開けると、純朴そうな少女が立っていた。
オーナーの言ったとおり彼女は不器用だった。予想していたよりもずっと・・・。
そしてまた、悪いことに部屋の暖房もこわれかけている。
あれほど満室続きだったこのホテルにも空き部屋が目立ってきた。
いっそのことホテルを引き払おうか、いや・・・。
最近思う。5年待ってみるのも悪くないかもしれない。この子、きれいな目をしている。 もしか
したらこのホテルの最後の客になっちゃうかもしれないけど、それはそれで悪くない。

オーナーよ、もう少しここに居させてくれないか。ここはもう、
ボクの家なんだ。


あの日を僕らは忘れない。 2004.9.1
                                by consa zippo

9月1日は、防災の日ナンだそうである。どうやら関東大震災が起こったのがこの日、それを
契機に定められたらしい。とはいっても、地震・雷・火事・管理人、どんなに注意しても
防ぎきれるモノではない。

 さて、思い起こせば2000年3月31日。俺に1本の電話が鳴った。
「CZ君、室蘭出身だったね〜、至急伊達へ行ってくれ!」
イヤ、別に室蘭出身は関係ない。有珠山が噴火したから取りあえず現地のことに詳しい
(であろう)奴を送り込まなくちゃ、ということだったのである。
寸断されかけたJRを乗り継ぎ、東室蘭からはタクシーなんていう暴挙によって、なんとか伊達
市役所にたどり着いた。この時、市役所が「災害対策本部」だったのである。着いてみると、電
気・ガス・水道その他ライフライン関係者、報道各社、どっからともなく現れる「各種勧誘団
体」、そしておびただしい数の高級官僚さんたちで、ごった返していた。
伝わらない情報、止まらない余震、ただイラだちだけを抱えて数日が過ぎた。避難所に駆け込
まれた方々、2,3日で戻る予定が1週間、10日と延びていった。避難勧告解除の目途は立た
ない・・・。

そんな中、避難所で新聞を見た。避難所ごとの名簿、道路の復旧状況、学校からのお便りに
混じり、こんな記事があった。
4月○日室蘭で開催予定の、コンサドーレ札幌対浦和レッズ戦延期決定
この出来事をみんな、どうとらえたんだろう?はっきし言って、
「なんで延期なんかするんだよ〜、JRだって走ってるじゃないか〜」テナ感覚だったんじゃない
だろうか?
避難所にコンサフラッグなんてありやしない、ドーレ君のぬいぐるみだって。でも・・・・、噴火の
様子が繰り返しTVで放映され、避難所の悲惨さがクローズアップされ続けても、なんて言った
らいいんだろうか、そう「疎外感」があった。
こんなに苦しい思いをしている方々、でも日本全体から見たら、イヤ北海道からすら忘れ去ら
れているんじゃないか?そんなときの延期発表、ちょっとした一体感を感じたりして。
それからおよそ1ヵ月、相変わらず余震は続き、避難勧告の解除はなされない・・・。
避難所の人々にもさすがに疲れ果てた様子。仮設住宅の入居順番を巡って、あるいは一時金
の支給基準についてトラブルが目立ち始めてきた。そんなときである。

「コンサドーレの選手が慰問に訪れます」

もう、慰問は充分だ、総理大臣も野党の党首もとっくに来た。来る暇があるんだったら、噴火を
止めてくれ!それは避難されている方々だけじゃなく、その場に係わる者全員の
偽らざる心境だった。
そしてやってきたのは選手3人・コーチ1人。選手の内の一人は室蘭出身のFW,
深川友貴だった。

ご存じの方はご存じだが、この深川、決して社交的な方ではない、あまりにもミスマッチな・・・。
予想どおり、淡々とした「技術指導」が始まる。避難所の子供達、楽しんでいるのか、そうでも
ないのか分からない表情で選手達を取り囲んでいる。
結局、慰問は1時間くらいだったんだろうか?あっという間に人の波は消える。残されたのは、
いつもの避難所生活。
次の日の朝、笑い声が響く。窓を開けるとサッカーボールに戯れる子供達の姿が・・・。
後日、延期されたレッズ戦に避難所から多くの子供達が駆けつけたことを知った。
あれから4年。あの時の子供達、サッカーを続けている子はいるんだろうか?
いろんな事が変わった、時は流れた。でもあの時の想いは変わらない。
  
ありがとう、深川。サンキュー、コンサ。

※ いまなお、噴火の後遺症に悩まされている方は大勢います。そして、全国には三宅島関係
者始め多くの方々が苦しんでおられます。どうか、ご自愛ください。
末筆ながら、書かせていただきます。
 



WHEN WE ARE SIXTY-FOUR 2004.8.24
by consa zippo

「こんさくたろう」の掲示板には音楽の話題も多々登場する。
 サザンあり、イーグルスあり、クィーンも当然・・・・、だが俺はとまどう。
それは、高校時代始めて付き合った子がクィーンの熱狂的ファンだったから?
いや、そんな事じゃない。第一、あんなひどい振られ方をした奴に何の未練もない(ハズだ)。
思えば・・・、俺の実家には歳の離れた姉が二人いた。ミーハーの権化のような彼女ら、
気がつけばタイガースやテンプターズなどグループサウンズのレコードに囲まれて育つ
俺がいた。ただ1枚のLPを除いては。
その1枚のLP,ビートルズの「サージェントペッパーズロンリーハーツクラブバンド」
とか言った。なぜか無性に聞き続ける俺。気がつけば、
ビートルズのカセットテープの山が出来ていた。

  そのLPの中にこんな一曲がある。「WHEN I’M SIXTY-FOUR」。
  歌詞はたわいもない。

  まだまだ先の話だけど・・・
 僕が歳をとって 髪の毛が薄くなっても
 バレンタインデーのプレゼントや
 バースデーカードやワインを送ってくれるかい?
 もし夜中の3時近くまで家に帰らなかったら
 カギかけて 締め出しされちゃうかな?
 ぼくを必要としてくれるかい?
 ぼくに料理を作ってくれるかい?
 ぼくが64歳になっても。
 
まぁ、要は「歳をとっても愛し合って生きていこうね〜。二人なら大丈夫だよ。」てな歌詞だ。ビ
ートルズ評論家からは「単に韻(いん)を踏んでいるだけだ。駄作である。」なんていう辛辣な評
価を受けている。
最初にこの曲を聴いたのは7〜8才くらいだっただろうか?そのころ「64才」なんて言ったら途
方もない年齢だった。もう、空の青さにも海の深さにも何にも感じないんだろうな〜、なんて思っ
ていた。
今、不惑を過ぎた自分がいる。あのころと何も変わらない。「64才」が、そう遠い将来ではない
と感じる以外は。
掲示板に登場される方々、多くは40才を過ぎておられる。が、その感性や表現力の豊かさ、
そしてモノを見る目の確かさ、どれも昔、「7〜8才」の子供が思い描いていた40才とは違っ
た・・・。

 ふと想像して笑ってしまう。二十数年後のこの掲示板の書き込みを。

  もう少し先の話だけど・・・
 僕が歳をとって 髪の毛がなくなっても
 コンサドーレの選手の話や
 日本代表や女子の話をしてくれるかい?
 もし夜中の3時近くまで書き込み続けたら
 ジ〜さんしつこすぎるよって、締め出しされちゃうかな?
 ぼくを必要としてくれるかい?
 ぼくにサッカーの話をしてくれるかい?
 ぼくらが64歳になっても。
 
    誕生日おめでとう!!




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